吉岡さんの「日本語が蘇るとき」を読んで
2009年5月9日
吉岡さんの「日本語が蘇るとき」を読んだ。
本エントリの主題となっている書籍「日本語が亡びるとき」は、”積ん読”状態になっているので、書評を絡めることは出来ないのだが、梅田さんのかつてのブログが懐かしく思い出されたので記録。
ITにおけるビジネスを専門とする梅田が、世界で起こっている事をブログで紹介するという連載をかつてもっていた。英語で書かれた記事を日本語で解説するという行為はまさに水村の言う二重言語者である。梅田は自分の後ろに彼のような二重言語者が数多く現れることを期待したのではないか。しかしかつての彼のようなITの最先端を日本語に翻訳し日本語で発信し続けるブログは今日現在現れていない。
2001年2月。従兄がスタンフォードに留学していた際に、初めてシリコンバレーを訪れた。
シリコンバレー発祥の地と言われているHPのガレージを見た後の、HP本社の広さの衝撃。牧歌的風景が広がるオラクル村、Yahoo!、MaCafee、聞いたことのある会社のオフィスを眺めながら、既に大きく成長した企業が目立つ一方で、これらの企業に対抗すべく数々のベンチャー企業が生まれては消え、を繰り返していることを知った時、「何て面白い場所なんだ!」と思った。この時から、「シリコンバレーで起きていること」は私にとっての最大の関心事となった。
日本に帰ってから、梅田さんのブログを知り、本当に有り難い情報源となった。当時は、関心はあるものの、何を情報源にすれば良いのか全く分からなかっただけに。
土日を除いて毎日更新されるエントリが楽しみで楽しみで仕方なかった。土日の更新がないことが寂しいくらいに。
スティーブ・ジョブズのプレゼンがいかに素晴らしいものであるかを知ったのも、ベンチャー企業がIPOをするということの意義を考えさせられたのも、今では当然のように利用しているRSSリーダーというツールがあることを知ったのも、このブログを通してだった。
後に、慶應ビジネススクールに入学し、校内で梅田さんの特別講義を受ける機会にも恵まれた。
所属した研究室でシリコンバレーに行く機会にも恵まれた。この時に、訪問したPostiniという会社で、いかに今までサバイブして来たかという話を創業者からリアルに聞くことが出来た。数年後、Googleに買収されたというニュースを知って、シリコンバレーのダイナミズムを肌で感じた。
今では、Bay Areaに住む同年代の友人も出来て、彼らと日本やBay Areaで会った時や、メールでシリコンバレーで起きていることを話題に出来るのも、梅田さんのブログがあったからこそだと確信している。
こんな思いに浸りつつ、確かにあのブログ以来、「ITの最先端を日本語に翻訳し日本語で発信し続けるブログは今日現在現れていない」のはおっしゃる通りだと思った。
と同時に、今後、このようなブログが出てくる(日本語が蘇る)可能性はあるのだろうか、と考えたりする。恐らく、期待されているのは自分のような30歳代前後なのだろう、と思いながら。
渡辺千賀さんのブログで「日本は立ち直れない」という言葉だけが切り取られて、批判されている様子を見ると、二重言語者の増加は見込めそうにない気がする。
でも、渡辺さんは批判を覚悟の上で、それ以上に危機感を持ったからこそ、一人でも「海外に目を向けようとする姿勢」を持つ人が増えて欲しいとの思いで書いたエントリではないかと思うのだ。
で、私はどうなのか?
拙い訳と数行の感想文程度であっても、テクノロジーの世界で起きている様子をメモしていけたらな、くらいにしか思ってない。のが正直なところ。
ネットの世界の隅っこで、ほそぼそと暮らして行こうと思ってマス。
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